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42歳のハローワーク
「清原は何故番長なのですか?」Yahoo知恵袋
モニターを前に吹き出してしまった。
おかげで、久々に重く重く固まった胸の中が、ちょっとだけミシっと動いた気がする。ほんのちょっとだけ。
ミシっとも動かなかったのは訳があって。実は今、逆回転、くらってる。上からよんでも逆回転。下から読んでも逆回転。
よっ!山本山だね!
ま、人生、所詮、海苔のようなものと思って生きていくしかない。
人生、山あり海苔あり。
新説「わらしべ長者が最初に持っていたもの、それは実は海苔だった!」など。
とにかく、海苔は私たちの生活には欠かす事の出来ない食べ物です。食べましょう。
倉庫の中で苦虫を見たんだ。
本格的な冬が来るちょっと手前のやたら寒々しいこの時期。
中途半端で、言葉で説明することのできないもの寂しさ。妙に全てがむき出しになってしまったような、容赦のないこの季節。日はどんどん短くなる一方。
一年の中で、この時期が確かに一番苦手だ。
「殺すなら殺せー!」と牧草地のど真ん中で。
事のはじまりはズバリ、ハローワークに行ったことから始まった。
別に努めて気楽に行ったつもりだし、正直、我が家の釜戸(財政事情)は緊急事態!というわけでもない。ただ、冬の間に何もしないのも逆に苦痛だし、本業の仕事も展望がよろしくなかったので、ちょっと、どっかでバイトでもないかなぁ…なんて。
不真面目だと思われるだろうが、ここはあえて気楽に。真剣に求職している方から見れば、誠にふざけたスタンスだ。
人の多い時間とずれたのか、人はまばらだった。前にハローワークに来たのは27歳の時。バイトを細々として食いつなぎ、月一で失業保険を受け取りに来ていた。
そうそう、佐波くん、まぁまぁ…、みなまでいうなって!
ハイハイ、バイトやってちゃ、もらっちゃダメだって言いたいんでしょ?失業保険。
うるせぇな!知ってるよ!山本山だよ!(海苔ギレ)
僕は6年勤めた小さなデザイン会社を止めた直後で、止めたというよりは止めざる得なかったのだが、それがトラウマになってしまっていた。今から思えば、社会人になる為の小さな洗礼を受けたぐらいのことなのだが、世の中に「人としての軸」と「社会人としての軸」があることが受けいられず、というより、自分にはそういう使い分けは無理!っていうことが判ってしまった。たとえば、社会人として評価されるようなことでも、それ、人としてはどうなの?ってことって間々あるじゃない?そういうのが強烈にイヤで。
その時点ではデザインは止めようと思っていた。しかし、どうやっていけばいいのか?その見当すらついているわけでもなく…。とりあえず頭を冷やそう…そういう時代。
何をしたら良いかという以前に、好きなものすら思い浮かばない。
絵しか取り柄のない人が、絵描きになったとする。そこには悩む余地はない。音楽も、文章も、写真だって。だってそれしかないのだから。そういう人達が独りで生きていく姿には、強さと説得力がある。たとえそれが茨の人生でも。そういうものがある人達が心底うらやましかった。何の取り柄も無いのに、そういう風に生きてみたい!という、甚だ身の程しらずの無い物ねだり。退くも地獄、行くも地獄状態。落胆と、焦燥の天王洲アイル。いつも曇り。
だが、世の中、今よりだいぶ状況がよかったのか、そんなモラトリアム特待生を黙って見過ごしてくれるくらいの余裕があった。そんな感じで約2年。その間、頭が冷えるどころか、増々違和感が増大してしまっていた。
上手く説明できないけど、目の前の何から何まで、全部が古臭く、閉じたものに思えてきて、とても、その古臭さの中で一生を終える自分が想像できなかった。一生が一度なら、僕はどんどん広がっていきたい。条件や保証が何よりも優先されるべきものだとは思えなかった。
働きだしてしまえば、こんな違和感もすぐに忘れてしまうのかもしれないが…たぶんそうだろう。でも、今感じているものを原動力にして生きていくことはできないだろうか?行けるところまで独りでいってみよう。方法を探してみよう。
そう決めた時、胸の辺りがモリモリっとして、晴れ晴れとした気持ちになったのを憶えている。まったく何の才能も根拠も展望も保証ないのだけれど、暗闇の中に光が差した。確実に。
周りの友達もそんなダメ大人ばっかりだったという影響もあると思う。なんとかなるっしょ。
「「仕事が楽しかったことなんて、30年間一度も無い。給料は我慢料なんだ。我慢して我慢して、その対価として払われるのが給料なんだぞ」って上司に言われて、俺、ものすごい気が楽になったよ」と友達は当時の僕に言った。
もちろん、僕はキチンと会社で働いて、給料もらって生活している人を否定したいわけじゃなくて、それはそれで素晴らしい生き方だと思うし、それが出来る人をめちゃくちゃ尊敬している。それに、この歳になって思うのは、もし自分がこのめんどくさい性格じゃなかったら、どんなに生きるのが楽だったろう?と思うこともある。我ながらめんどくさいよ、ぐじぐじと。
自家中毒を起こしかけたことも多々あったけど、やっぱり、これ治らない。でも、そういうのを自分で探し出すことも努力だと思わない?当時、よく母親と言い合いになった。いきなり「もう就職しない」と息子に言われれば動転するのも当然だ。母はとても保守的な価値観の人だから。今から思えば、親にそんなことをわざわざ言う必要もないし、自分自身もそんなこと決めてしまわなくていいと思うのだが…。そういう意味では若かったのだろう。返す返す「おまえには一番教えなければならないことを教えられなかったみたいだね。それは怠け者の発想だ」と言われたものだ。そして僕はあてつけで「努力不足は向こうの方だよ」と返すのが常だった。
僕はただの怠け者なのだろうか?どうかな?
まぁ、別にどっちでもいいけど。
そして僕は15年ぶりにハローワークにきた。
昔見たものと比べ物にならないくらい薄い求人ファイルをペラペラめくる。
ルート運転手、スーパーの店員、土木作業員、どれもこれも中途半端では務まらない。通勤のことや、休みのこと、いろいろシュミレーションする。全然想像していなかったんだけど、思いがけず落ち込んでくる。誤解して欲しくないのは、決して働きたくないわけじゃない。
自分にとって「路頭に迷う」という言葉の意味する所は、明日のお金や、住む所がないということではなく、自分の手で人生を創っていないと感じた瞬間のことを指す。これはけして綺麗事じゃなく。15年前のあの時、自分には何も見えてなかった。今は違う。はずだよな?
だけど、たとえば全部それがしょうもないものだったとしたら?
ただの妄想の果てがここだったら?
実際、未だ何にもなってない。俺は自由なんかじゃなくて、何もないだけじゃないの?
だんだんと夢から醒めたような気分になってくる。
やばいやばい。
「ムラ、今日はとりあえず、帰ろうよ」
帰りの車の中は、その日の冬にしてはやたらに暖かい日差しのせいで、暑いくらいだった。
何か現実的な視点というのが俺にはいつも欠けているようだ。逃げているのか。いや…。
結局…めぐりめぐって…偉そうなこと言って…その結果がここ?…全部中途で…ムラまで巻き込んで…無駄?…わざわざ15年かけてまたここに戻ってきたのか?…いつも口だけだよな、俺。
もよ~ん。
気がつくと僕のエンジンは逆回転をはじめていた。
よっ!山本山だね!
その晩、ムラと真剣に話し合った。久々にシリアスな夜だった。
会話の途中に薪のパチ、パチという音がなんとも重く響く
シンプルに考えて、今は良いとしても、ここにこれからも住むことを考えたら、もう一工夫が必要だ。何がある?それをひねり出さなければ、ここには居られない。がっつり働くことは全然かまわないけれど、何故ここに住んでいるのか?それだけは忘れちゃいけない。結果として、ここに居る意味がどんどんなくなってしまうことが怖い。だが、そんな戯言はムラには通じることもなく。「じゃ、実際どうするよ?」って話に当然。なる。
ムラ、いや女の人は現実的だ。そしてそれはとても大事なこと。
「どうにかなる」なんて絶対に言えない夜だった。本当は内心思ってたんだけど、今晩だけはそれを言いたくなかった。「これがこうだから、なっ?大丈夫だろ?」って言いたかった。でも何も言えなかった。
ダメじゃん。本当に未だ何の取り柄もない。すべて、自分の至らなさのせいに思える。あれも、これも、全部。俺だけが至ってない。俺だけが。「自分が嫌い」という感覚をはじめて味わった。なるほど、こういうことだったのか。周りの人達はキチンと自分のするべきことをやっているのに、自分だけは相変わらず夢みたいなことばっかり言っている。何もやってない。旅の終わり。
逆回転の速度はすさまじい早さになってしまっていて、僕の頭の中は、ぱつんぱつんに悲観的な展望で埋め尽くされた。ここに来たことさえ、意味がなかったような気がしてくる。
こういう時って、不必要に悲観的な方向にしか話が向かわない。話せば話すほど、意味の無い重さが増していく。混乱だけ。逆に何も話さない方が良かったかも。晩ご飯食べて、寝て、朝起きて、散歩でもしながら、なんとなく話すのが一番だったと思う。
その晩は流石に寝られそうもなかった。すごい一日になってしまった。深さを調べるために、水たまりにつま先を入れたつもりが、いきなりズッポリ体ごと落ちてしまったような。気がつくと泥々。
その晩、上の部屋にはいかずに、ひたすら薪をくべて、ちょっと横になって、またくべて。くべれば、くべるほど…。朝刊が届く。一応読む。今の自分には全てどうでもいい。
明け方、流石に寒くなって、ふとんで寝た。
何日か悶々と考えた末、ここで出来る仕事を石にかじりついても探すのが、いろんな意味でバランスの取れる選択だと結論が出た。ここに居てもできること。やっぱり石にかじりついてもそれを探そう。それしかないよ。
さっそく、ネットである程度の目星をつけて、闇雲に電話をかけてみる。乱れ撃ち。
実は営業ってほとんどしたことがない。電話が苦手だからだ。それなのになんとものらりくらりと生きてこれたのは誠に幸運だったとしかいいようがない。しかし、今はそんなことも言ってられない。
「えーっ、わたくしですね、今、富良野市においてですね、デザインとですね…」
「ですね」を多様する奇妙な言葉を話す男は、会話の途中、遠くの空をずっと見ていた。落ち着け。
ぎくしゃくしたのは最初だけで、後はどうってことはなかった。楽勝。路頭に迷うより遥かにマシだ。
後日、札幌の実家に行って、そこでも電話帳からピックしたところに電話しまくる。
「潰れろ!カス」と罵倒して電話を切りたくなるような扱いもあったが、何社かあってくれる約束を取り付けた。何も解決したわけではないけれど、心がしだいに晴れて来る。気持ちがモリモリっとしたきた。なっ?やっぱりこっちで正解だよ。
髪の毛も最近にないくらい短く切って、ウォーターグリースみたいなへんなのつけて、シャツにアイロンかけて一丁上がり。原始人志望のトンデモ夫婦とツルんでいる男には絶対に見えない。やったね!こういう緊張もたまにはいい。
会ってくれた人達はどの人もキチンと対応してくれた。
もっと、軽くあしらわれることを覚悟していたが、全然そういうことはなかった。しかし、印刷、出版業界はかなり壊滅的に不況にやられてて、今、外に出すほどの仕事はどこもなさそうだ。
それにしても、やっぱり北海道の人には、何か独特の感じがある。うーん、何だろ?
仕事のフィールドで北海道の人と関わったことは、今回が初めてだけれど、向こうで仕事で知り合った人達には一度も感じ得なかった、なんともいえない暖かさを感じる。裏が全く無い感じ。いいわ!どさんこ。
「どうして富良野なの?」これは必ず聞かれる。
時代が時代なのか、興味を持ってくれる人も多かった。「何せ食べ物が豊富なところですからね、僕とつき合って頂ければいいこともあるかもしれませんよ」的ないやらしさを、正々堂々とアピール。恥も外聞もなく、ここは手持ちの駒を総動員。押しの一手。
なんか俺だけしゃべりすぎちゃったかなー?思いっきり俺の唾、放物線を描いていたよな…さっき。
そもそも、ここで暮らすだけの必要なお金を稼ぐことは、そんなに難しいことじゃない。ということは、人より全然安くできるということだ。環境的には不利でも充分相手側にも利点があるはずなのだ。
逆回転は止まっていた。何気なく。
ある晩、僕は自分の作品のファイルを強化しようと、ハードディスクの中を隅々まで突いていた。前回、営業に行ったときに足りない部分が判ったからだ。
その途中で偶然、確か30代前半の頃だったかな?友達と一緒にチームを作り、それを企業にスポンサードしてもらおうとしていた頃の企画書を発見した。
おもしれーな、コレ。実現してれれば、おもしろかったのに。
その企画書の後書き。自分が書いたものだ。端々からみずみずしさと、今の自分にはない、ちょっとハジけたものを感じる。内容についてはまったく憶えていなかったのだが、それを見て驚いた。
当時、制約なしのマックスで想像した自分の自由な未来像。半分冗談で書いていたんだろう。叶うとは夢にも思っていなかった広がりのある話。
そこには、北海道に渡り、スタジオを作り、自給自足し、あと60年生きなければならない若者に向けて新しい「LIFE」を火星を通じて発信したいと。そんな生活を45歳までにしたいと書いてあった。
火星…。
はさておき、今、自分はその入り口にキチンと居れているじゃないか!
過去の自分の文章に強烈に励まされる。「成れてる、成れてる。成れてるじゃん! 俺はキチンと自分の成りたかったものに成れているぞ! 創ってきた結果として、ここに居れてるんだ! 自信を持てよ!」
ウォー!!と叫ぶ。
セニョール、何も恐れるな!
泣いた。
今週読んだ105円本
「インドで暮らす」石田保昭著
※四十にしてまよわず。あれ嘘。
※牧草地には入っちゃダメよ。
※今回はしんどかった。正直、できないんじゃないかと途中で何度も思いました。ここは当時の心境を箇条書きにしたノートを元に書くのですが、今となっては何故そんなに落ち込んでいたのかが、全く分からないんですよ。だから進まない。内容も重いし。でも、それも全部こみこみでこれからもやっていきます。
※当時、心配してくださった何人かの方から励ましのメールを頂きました。沁みました。ありがとう。人を心配させるのってダサいよね。でもダサいんだからしょうがない。
※実はその営業で蒔いた種の芽が、今現在、おかげさまでぽちぽちと開いてきています。
※次回更新はなるべく一ヶ月以内に。
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