キッスはソースカツの味




あぁ今日も香しきクロの首筋。

逃げるクロをとっつかまえてガッツリ嗅ぐ。くんくん。
最近のクロのスイートスポットは後頭部から首にかけての窪み。

「おまえは乙女か!」

ムラがあきれてこう言う。
なんでも嗅いでいる瞬間、僕の両足はパタパタと動いているらしいです…。
乙女と言われても平気、どころかまんざらイヤでもない。そんな僕は41歳。

あれ?今日のクロパロン(こっちの方が口に心地いいのでこう呼ぶことが多い。そんな僕は41歳)はなんかいつもの獣臭に混ざって、レモンの匂いがするぞ!

クロパロンはレモンの匂い。

キッスはレモンの味。

ワオ!

以上。

今の僕にはそれぐらいしか言いたいことはない。こんな僕は獅子座の41歳。

前回は意図せず、指先がチューハイの神様にのっとられ、放心状態の自分の目の前のモニターには既に完成したストーリーが。
あれは酒を飲まない人は全くおもしろくなかったと思う。別にあやまらないけど。
俺のせいじゃないから。
本当はこの1年を総括したようなものを書きたかったのだけれど。
今回は何はともあれ、それを中心に書くつもりなのですが、実はいまいちテンションが上がらない。というのも、4月分のデジタルカメラのデータがごっそりブッ壊れてしまってしまい、あれもこれも載せたかったのにできなくなってしまった。その様な理由からこれから数回は極端に写真が少ないです。

1年の総括と言っても、別にたいしたことやっているわけでもないし、自分の白髪が筑紫や藤本クラスが現実的な線として見えてくるくらいな勢いでめっさ増えた以外に何か自分自身が大きく変わったという自覚もない。そんなところでまとめてみても誰が喜ぶの?ってお話なんですけどね。

でもいやまぁ黙ってきいてくれ…。

思えばこの原稿を書いているこの部屋も、1年前は天井が雨漏りで腐り、壁はカビで真っ黒で、床は抜け落ちかけ、越冬蠅の死骸が散乱していた部屋であった。何年も空き屋だったためか、重く薄寒くカビ臭い空気はこの部屋に居着き、窓を開けてもなかなか出ていこうとはしなかった。
今やその部屋の壁も淡いペパーミントに塗られ、空気も入れ替わり、ほのかにフレグランスを効かせ、ご自慢のオーディオセットでショパンを薄くかけながら僕はこれを書いている。手を2度叩けばルームサービスも来る。
今日はちょっとだけ暑いから、何か冷たくつるんとしたものが食べたいな。
30年物のワインを使ったゼリーが冷えているはずだから、それを持ってきてもらう。
あと冷たいおしぼりも欲しい。ちゅん!ちゅん! 外で鳴くひばりの声がかわいい。

パン!パン! 

下からクロパロンがコンコンと階段の木を弾きながら、ワインと同じ深い朱紫色の上質なビロードで包まれたゼリーとおしぼりを運んできてくれた。
思えばこの部屋に限らず、この家での暮らしぶりもずいぶん快適になったものだ。
適度に冷えたゼリーを口に運びながら、僕は感慨にふける。
ゼリーにするなら、ワインはもうちょっと若い方がいい。これは早めに手を打たなければ…。
寒くも、そしてそんなに暑くもない。乾いた空気の中を気持ちよい風が抜けていく。ワインゼリーがこんなにおしいく頂ける季節はここではあまりに短い。

「パロン、フランスのエドワーズに至急連絡して! あとペリエも持ってきてくれる?」

俺のおしゃれ妄想、ペリエが限界。

やっと暮らしが落ち着いてきたのには、家にだいぶ手を入れたというのもあるし、単純に慣れてしまったということもあるかもしれない。
最初の頃にしつこく書いていた例のボットン便所の恐怖。越してきた当時はいやでいやで便秘になるくらいだった。
便意を感じたら、まずお香に火をつけそれを便所にもっていく。煙が充満したのを見計らって突入。そして数分後泣きながら出てくる、少女のように。というのが日常だった。
今はね、もうお香を焚くことはしなくてもよくなった。あと「物は考え様」というね。
こう思うことにした。下に溜まっているのはうんこじゃない。あれは豪華な肥料だ。
日本人は昔から優れた循環型の生活を確立していたわけで、それの大きな遺産がこのボットン便所。今時、うんこを水で流してしまうなんてバカな人達のやること。おっくれてるぅ~。そういえば、おれんちのじいちゃんなんて、昔、紙ごと畑に撒いてたぜ。
欧米人よ、君らもエコだのロハスだのに本気なら、まずうんこ撒け、うんこを。それが一番ロハスだから。
そう思い込むと便槽もなんだか誇らしい。そしてそこにペリエの空き瓶でも置いておけばなんだかおしゃれ。そしてそこから会話も広がることもあるかもしれない。

でもな…。それを差し引いても、何故、うんこがそのまま見えたままでなければならないのか?っていう、その工夫の無さが依然として引っかかるところではあるのだが…。

総括1 ボットン便所慣れました。


最近感じているのは、この土地の水に自分の身体の細胞の1つ1つが同調してきているようなうれしさ。自分の暮らしているこの環境を、身体全体で消化するには少し時間がかかった。
けれどそのことに日々悶々としていたわけではなくて、消化したときにはじめて、逆に今まで消化できてなかったことに気付いたってこと。
それはつい最近の出来事。

ふと思った「あ、俺、なじんでなかった」と。
頭はここに来てても、身体が来てなかったんだと思う。
人間の細胞もほとんどが水でできているし、ここの水を毎日飲むことによって細胞の中の水分も、実際、完全に入れ替わったのかもしれない。この実感は微妙だが確かなものだ。

総括2 身体、着地しました。


1年かかって心身ともに景色の中になじむことができた。
なじむというのは、自分が今どんな環境に生きているのか、周りとどんな関係にあるのかを無意識のレベルで把握した、分かったってことだと思う。
しかし、ここから見える富良野岳の美しさに対する新鮮な感動は、今でも変わらない。
ここでは把握することと感動は反比例しない。
例えば、食べた事のない美味しい料理を頂く。それは経験したことのない味覚であり、自分にとっては新鮮な経験だ。
ただ、自分がたった今食べたその料理は、ものすごく美味しいんだけど、そのすべてが検討もつかないとする。料理の素材、調理法、どこの国のものなのか、そしてその歴史。口の中で何が起きているのかわからない。たとえ、それらをすべてひもとき、把握したところで、その料理の美味しさはそこなわれるであろうか?そこなわれるどころか、逆にもっと深いところで味わえるはずだ。


ムラとも最近「もう1年経ったねぇ」みたいな話をした。
本当はこの区切りに、ムラの感じた1年間というのをこのnkkに綴ってほしかったのだが、なかなか書いてくれそうな気配もない。それは2年目にとうご期待。

「なんか、何もなかったようで、けっこういろいろあったよな」

同時に二人とも笑った。同じ感じで。
笑うって色々だよ、それこそいろんな笑い方がある。
その時、二人の笑った感じがものすごく同じで、その笑いひとつだけで、僕はムラの中のこの1年と僕の1年のズレが無いことがすごくよくわかった。
言葉が要らない関係の人が、この世界に一人でも居るってものすごく幸せなことなんだな。
それが実は全くの他人っていうところが、なんともこの世界の味を複雑にしている。
ムラと何日も一緒に居て、時には口喧嘩したり、時には「終わった~!」なんて一緒に喜んだりして過ごしている最中、「四六時中一緒にいる目の前のこの人は、なんで自分と一緒に居てくれるのだろう?」ってポッと思うことがある。このだだっ広い土地の中にぽつねんと二人だけで立つ。どうしてこんな多くに人が居て、こんなに広い地球の中で、今ここに、僕らわざわざペアになって立っているのか?立たなければいけないのか?その不思議さ、珍妙さ、ある意味奇跡なのか?または必然なのか?籍なんてあんなもんただの紙切れだ、どうでもいい。そんなもん関係なくしても、それでもなんとなく一緒に居るような気がする。それが好きってことのなのかなぁ?好きって何?好きだと何故一緒に居なきゃいけないの?よくわからなくなってきた。そんなこともこっちに来てからかな?思いはじめたのは。シンプルな環境だからこそ、自分達の根元が浮き彫りになってくることは多い。

総括3 夫婦って思ったよりもおもしろいペア。


村の人は相変わらず良くしてくれる。
ちょっとした変人ということはもうとっくにバレているのだが、そこは見ないふりをしていてくれてるみたい。以前にも書いたが、やっぱりこの土地の魅力はここに住んでいる人達が半分以上を占めていると思う。みんなそれぞれにいろいろな現実をかかえつつも、タフに明るく暮らしている。それぞれ個性豊かだが真っ当な人達ばかりだ。真っ当な人達ばかりなので真っ当じゃないことが起こらない。これは排他的な考えだと思われるかもしれないけれど、見たくないものを見なくてよい暮らしは、思った以上に精神的には楽だ。というのも、僕が出る前の東京は真っ当じゃない出来事を目にする機会が多すぎた。これがもし周りの人のキャスティングが違っていたなら、たぶん全く違うストーリーになっていたろう。僕はこの村の皆さんが明るく暮らすこの土地にやってきた。ただこの土地にやって来たわけではない。その仲間に入れたことのうれしさ、といより、まずカトキチ達の強運に感謝。ここでよかった、うん。その気持ちは来た当時よりも強くなっている。

総括4 劇団平沢のキャスティングは完璧。


最後、この区切りでアムプリンを止めることになった。
視線を引いてみたときに、ここは続けるよりも、抜けた方がみんなにとってもメリットがあるということになった。僕は当初の計画通り、自宅で仕事をする方法を模索中だ。
北海道に来ることを決めた晩に、みんなでまず決めたこと。それは「笑えないことはここで打ち止め。これからは自分の好きなことだけやって笑って暮らそう、それがうちらの仕事」
どうしたらそれが実現できるかってところでのアムプリンなわけで。アムプリンで稼いで暮らしていくことが主じゃなくて、笑うことが主だったはずなんだ。それを忘れそうになっていた。アムプリンに4人全員がぶら下がっているというのも、自分的には良い絵にも思えないし。でも、かなり良い経験したと思う。ムラは気付いていると思うけど、僕の食器洗いは格段に丁寧になった。

総括5 不向きなことは止めましょう。




今週読んだ105円本
「新・屈せざる者たち」辺見 庸著