チューハイ ト ヤキトリ




不惑を過ぎて今だつじつまなんて合わないことばかり。
気分は地面スレスレの滑空状態から機首を上げようとしている。
つじつまを作ろうとするから無理がある。今はそういう結論。
今日は僕の分裂記念日。これから軽くタコ踊り。レッツダンス。

速報 当地に入ってはや1年経過。
初めてこの家に入ったときの匂い。寒い匂い。
買い出しや外の作業から戻っても、居間に入る度に違和感のあったあの匂い。
いつしかそれはなくなっていた。はたして違和感がなくなったのか?匂いの方がなくなったのか?

ところが1年経ったちょうど今、これは不思議なんだけど、外から戻ると突然間違いなくあの匂いが。いきなり初々しい気持ちに戻る。そして、思いがけず感じた寂しさや不安も鮮明に思い出す。やはり匂いが記憶を呼び覚ますボタンの中で一番デカいかも。

でも東京の暮らしのことは、今ではもうほとんどチラつかない。
最初の頃は確かにそういうことはあった。
ここに無いもので、大好きだったものが3つある。
ヤキトリ屋とそば屋と本屋。このゴールデントライアングル。そう、いたっておじさん。
そして重要なのは、それは徒歩か自転車で廻れるぐらいの場所と規模でなければならない。
こういうことうれしそうにしゃべるうざいおじさんよく居るよね。つまり俺を筆頭に。

吉祥寺に「いせや」っていう有名なやきとり屋があるでしょ。
知らない?あまりにモクモクしてて、生きながらにして薫製の気持ちが味わえる処。
何か用事を済ませた帰り、例えばデカめの仕事をかたずけて、それを届けた帰りの夕方とかだと最高だな…、自転車でその前を通る。しかしそこを素通りするなんて自分には到底無理。むしろそれは恥の範疇。
でもたぶんもうムラが御飯作ってるからな、ほんのちょっとだけ。
あそこはいつもアジアなエネルギーが渦巻いていた。

19歳のとき上京して一番ショックだったのは何よりも「いせや」の存在だったかも。
何?ここ?こんな空間見た事ねぇ!午前中から普通にみんな呑んでるし!
やきとりの在庫を電球で表示していたんだけど、それもどこか「おばけ屋敷」みたいでワクワクした。そして来ている客がその場所といい具合に絡み合って、さながらアミューズメントパークのよう。店の入り口で入園券が売ってても全然不思議じゃない。非日常と超日常(すごく日常の意味)。どっちもそこに普通の顔して同居してやがる。東京って怖え~。そんな焼き鳥屋だった。

僕はそこでサラリーマンの人を見るのが大好きだった。サラリーマンをしたことがないからなのかな?ちなみにサラリーマンの経験はないのだけれど、一度スーツには近づきかけたことがある。しかしその一線は超えられなかった。情けない理由なんだけどスーツを着るのが無理で。スーツ自体は格好良いとは思うんだけど、「これ着てりゃ、とりあえずいいんだべ?」っていう、その曖昧で順序が逆な常識がどうしても我慢できなくて。つまり、若かったんだな、簡単に言うと。

「あの、どうしてもスーツ着なきゃダメですか? 外に出ないから必要ないと思うんですど…」

「いやー着てもらうよ。あんなのすぐ慣れるよ。逆に楽だよー。毎日あれこれ考えなくていいんだもん」

直々に面接をしてくれた社長が、かなりカジュアルな格好をしていたのがイマイチ腑に落ちなかった。それでも僕を気に入ってくれたみたい。

そして出社日。逃げた。後に適当な理由を書いた手紙を送った。

あのとき、その一線を超えられたのなら、今隣に居る、部下を引き連れ、愛嬌のある眼鏡をかけ、赤ら顔で楽しそうにしている、このおもしろ部長のように僕はなったのか?
居酒屋では周りをチラ見しながら、そんなことばかり空想して呑む。

「うわっ! 普通に全員スーツ着てるよ、この人達」

「やっぱ、上に立つ人のネクタイはキチンとおしゃれだな」

「ははーん、あのちょい若造が橋渡し役ね。潤滑くん。右のあの人が少々やんちゃな人」

「この部長キャラ、本当におもしろい!」

「この潤滑くん、その場、その場で、適当なこと言ってうまく立ち回れている自分が好きなんだな 死ぬなよ」

「よっ!サムライ! たぶんあんた明日には自分の言ったこと忘れてるけど」

「あの人、悪い人じゃ無いんだけどさ…」

おっと、愚痴がはじまったぞい!

そういうの見てるの、たまらないんだよね。たまらなかった。

時間も灯りも匂いも人もつまみ
も酒も会話も、蒸し暑い空気とスモークを溶媒にして溶けはじめる午後6時半。

全部溶けて混ざり合ってとぐろまいていつしかそれが1つのダルマになる。それは午後10時半。

チューハイ ト ヤキトリ。

帰りちょい酔いで蒸し蒸ししている空気の中を自転車で泳ぐ。

あ~す~いす~い。


そして自分の服に染み付いた匂いをつまみに家で呑み直す。そこまでいけるとマイスター(カトキチ)

今もダルマが恋しいことがたびたび。


そこは承知で来たのだけれど、恋しくなくなるにはもう少し時間がかかりそうだ。
ここまで書いて気がついたんだけど、俺、東京自体がチラついてるんじゃなくて、焼き鳥屋とそば屋と本屋がチラついてるってことなんだな。

そういえば、発つ直前、鬼のようにそんな場所を呑み歩いた時期があった。東京呑み納め。
東京ドームもオイラにとっちゃ盃(さかづき)さ。ラララ~(歌始まる)

そんななか、20代前半からポチポチと数年間通っていた居酒屋に、最後どうしても行きたくなって訪ねて行った。

夫婦でやっているそのお店のお母さんとお父さんはあまり昔と変わらず、壁に貼ってある常連さんとの海水浴の写真や、プロレスラーとの記念写真は、少々色あせていなくもなかったのだが、その微妙な変化は時間が経ったことを感じさせてくれるほどでもなかった。
当時その場所に通っていた理由はといえば、帰りの遅い夜にその時間まで開いているお店がそこしかなかったっていう。都合の良いことにそこは、飲み屋なんだけど定食もあったから。

そこの常連さんは、格闘技が好きな人や隣にジムから流れてくる人、どこにでも必ず居るちょっと酒くせの悪いトラブルメイカーとか。居酒屋にしてはめずらしく文系でもなければ理系でもなく、体育会系!のお店だった。ランニング着て腕がモリモリの人ばっかりで、みんな異常に声がデカい。

深夜に入りそうな時間帯に髪が濡れたままの僕は入ってゆく。もういい塩梅に常連さんはできあがっちゃってます。机は大体いつも埋まっている。カウンターにしか座れない。カウンターに座っているのは大体トラブルメイカーの人。「しんさん、もうそれ以上呑んじゃダメ!」お母さんが今日も止めてる。自分はその人の隣に割って座る。椅子やつまみをずらしているときのその人の煙たそうな顔。異物が入ったことでどランニング諸先輩の会話が一瞬滞る。だけどそこはヨッパライ。すぐに異物を吸収し何もなかったかのように再びデカ目の会話がはじまる。僕がいつも頼むのは定食とビール1本。食べにいってるだけで、呑みに行ってるわけじゃないから、ビールをおかわりすることはなかった。

周りは圧倒的に大人の世界。そこに一体どんな気持ちで僕は居たか。
実はね、その大人の世界に一人切り込んで行く感じが妙に誇らしかったというか…。

お母さん、そんな目でみないでくださいよ、普通ですよ、普通。

周りの喧噪を無視して誰とも話すことなくクールに真顔でテレビだけを見てね。
「なんか、俺、かっこいいなー」なんて内心思ってたりね。今と違ってシャンとしてね。
僕はそんな感じでひと月に2度くらいそこに行っていた。

約15年ぶりに行ったそのお店のお父さんとお母さんは、うれしいことに二人とも僕のことを憶えていてくれた。お母さんに至っては、僕にかなり強い印象を持っていたみたいだ。
当時の話に花が咲いた。ランニング諸先輩もまだみんな変わらず元気なのだそうだ。しかし僕はその会話のなかで思いもよらない真実を知る!

当時、僕がそのお店に入る度にお母さんが思っていたこと。

それは…

「あっ、またあの不憫(ふびん)な子来たわ…」

だったんだって!そう思ってたんだってさ!!ガーン!!

衝撃だったよ、それ聞いたとき。
当人は「生意気やらしてもらってごめんなさい」ぐらいの勢いだったんだから!

「あなたいつもビールはきっかり1本だけでしょ?それが凄く印象に残ってたのよ。お父さんとあの子、苦労してるのかね?なんて話したこともあったくらいだからね」

「そう見ちゃうと、なんか顔も暗く見えてくるのよねぇ。段々、不憫な子に思えてきちゃってさ。そしてパタンと来なくなったじゃな?ちょっと心配してたのよ。あぁそう、結婚したの? あら、良かったわ~、不憫な子じゃなくて。ほほほほほ」

もう一緒に大爆笑!

僕はあの時常連しか座る事のなかった机で、あの時よくそこに貼り付いていたような、呂律の廻らないデカい声で品なく笑うおっさんになっていた。

おーい!クールにきめたつもりの20年前の俺! 
そこのおまえだよ、テレビをすました顔で見てるそこの!

おまえ知らないだろうけど、今、周りの人に不憫って思われてるぞ!がはは!



おかあさん、チューハイください。濃いめで。




今週読んだ105円本
「プロフェッサー・オン・ザ・ロック」ただ かいと著



(※今回より写真をクリックすると馬鹿にでかいサイズになるのはじめました)