新しい人




新しい人はベベルイの森のちょっと入った所に住んでいた。
新しい人は白いヒゲの伸びたおじいさんだった。
新しい人の名は大浜さんという。もう20年弱も前に単身でこの原野に入ったのだ。

「銭金」っていう番組があったでしょ?あの番組でも紹介されたことがあるので、知っている人も多いんじゃないだろうか? 氷室を作ってた人。そう、あのおじさんです。
ずっと前から、僕ら4人は一度そこに遊びに行きたかったのだが、何せ大体の場所すらわからない。
「どうやらあそこらへんらしい」こんなことはよく話していた。
しかし、ひょんなことから大浜さんを良く知っている方(隣人)と知り合いになり、ついに森の住処に案内してもらうことができたのだ。

彼は50代の初めに旅に出る。
旅の途中に寄った仲間の「わい、北海道に土地もってんねん」という言葉を頼りに、北へ向かう。いわゆる原野商法で600区画に細かく切り売りされたその土地は、彼がたどり着いた当時、やはり誰一人活用している者もおらず、全体は薮に覆われ、道は消え、区画さえ探し当てることも難しかったという。

それから約20年後。
道路から森の中にちょっと入ると、そこはもうこちら側とは全く違う空気感。世界が変わった。20年分いきものが生きた痕跡がムンムンと漂う。その痕跡、空気感は限りなく動物のそれに近い。

大浜さんの住処は動物の縄張りのようなとてもかわいく、それでいて妙に落ち着く場所の中にあった。奥から着古したからし色のつなぎを着ためちゃくちゃ顔色のいい新しい人が、ニコニコしながら歩いて来た。

素人工作では冬を過ごせる家が建てられるはずも無いと考えた彼は、冬には引き上げることも考えていたという。そんなときに思い出したのは知床半島付け根に復元された竪穴式住居。
それにキツネや熊だって穴を掘って巣を作る。そして彼も穴にもぐることを決めた。
掘っても掘っても出てくる石に手こずりながらも穴を掘り、屋根を透明ポリカーボの波板で覆っていっちょ出来上がり!後に暖炉も作り、その穴で4回の冬を越す。

吹雪の夜には、いつしか集まり始めた犬達とともにコーヒーを飲みながら、上で荒れ狂う吹雪の音を楽しんだり。
廃材を収納する小屋の屋根をゲレンデにみたてて、スキーを楽しんだり。

白以外は何もない景色の中、一人暖炉の火を焚きながら夜を過ごすのはどんな感じだろ?
目に入る情報が多いのも楽しいけれど、情報が少ないことによる気持ち良さってもの確実にあるからな。周りが白で消されれば消されるほど自分自身が浮きぼりになってくる。冬はめんどくさいことも多いけど、その感じが僕も好きだ。ここの景色も半端なさそうだ。
そこでひとつひとつのことを自分の手でやり、その度に達成感を得て感動する。逆に言うと感動なくしては、ここでの暮らしはとても退屈だろう。ただ退屈以前に死ななかったことだけでもさりげなくすごい。穴を掘ることを思いついたのがある意味奇跡だったのかもしれない。ここは真冬には氷点下35度越えを記録するすさまじい極寒の原野の中なのだ。

この奇跡の竪穴式住居、当然ながら地中は地上より暖かいし、いろいろ理にかなっていたようだ。小屋が雪のふとんに覆われると、穴の中はなおのこと快適になる。
横の壁が無いので隙間風が入らないというのがとてもいい。対風対策という観点ではこの方式は最高なんだと思う。ここで何度も書いているけど、気温そのものよりも風の有無が寒さに直結していることを、この冬に僕は身をもって体験した。

アムちゃんはバリバリにインスパイアされている様子。

彼女らが目指す暮らしに近いやり方を、もう20年弱も前から実践しているのだから興奮するのも当然だ。実際作って住むことを想定した質問を大浜さんになげかけている。水が染みでないのかとか、屋根の構造とか。

大浜さんはその後、竪穴の隣にご近所の方に頂いた廃材で作った家を建て、今はそちらで暮らしている。その総制作費はなんと1万円!!だそうだ。そっちの家もかなりいい感じ。前回の続きじゃないけれど、これも何かの実写版?と思わせる家だ。さらに僕らが遊びに行った時点ではもう1軒をこれまた廃材で作っていた。
間近で見るとその造作はかなりファンキー(適当)。曲がった柱は曲がったまま、それに合わせて壁が貼られていたり、基礎は既に作っている最中から沈んでいたり。いい意味で僕らに勇気をあたえてくれる家だった。
なんだ、家ってこんなんでも全然いいんだ! 俺も出来る気がしてきた!

電気もガスも水道も無い暮らし。

どうして今、原野で竪穴式の小屋で暮らすのか?
彼自身は御自身も含めて現代人は決して文明の外では生きられないと、著書「原野の生活」(新風舎)で書いている。いくら竪穴式とはいっても、普段の生活ではランプの石油やラジオとワープロの電池を使い、チェーンソーや草刈機で木や笹を刈り、車で買い物をしているのだと。そして何よりも周りの人に支えられてなければ決して生きてはいけないと。また社会的なものになってこそ確かなものになるのだと主張されている。
大自然をただただ手放しで賛美するでもなく、一刀両断な文明批判でもなく、その接点で万物の協同と人間の役割を模索しているのだと言う。実際にお会いしてみると仙人というよりも、単なるおもしろいおじさんという感じであり、その感じがとてもリアルで嘘臭くない。それに加えて決してユーモアや遊び心を忘れないその姿勢にも共感する。いくら能書きが立派でも、笑ってもいない人、幸せに見えない人の言葉をみんなが聞く筈も無い。結局、人間はそれが全てって気もするな。


自然の万物、宇宙の粒子、すべては連動している(原野の生活より)

すべては協同してはじめておこなわれているものであることを自覚し共感して、その自覚的部分を分担するにすぎない者として生き、それを感覚、精神だけでなく、生活、社会の原理として実行実現していく(原野の生活より)


彼が原野に住みついた当時、正直、人々は単なる世捨て人ととらえたかもしれない。しかし誰もが新しい価値観、ダイナミックな変化が必要と感じている昨今、彼の日々の言葉にやっとみんな耳をかたむけつつあるのではないだろうか?
ちょっと突飛なはなしになるけれど、
そう遠くない将来、科学(量子物理学)が彼の言っていたことを証明するかもしれない。
天に向かってひたすら手を合わせるでもなく、目にみえるものしか信じないってことでもなく、その両方を経たバランスの所に大浜さんは居る。そしてそのクールな洞察を、普通のこととして自らの暮らしで体言している彼と竪穴式住居。上手く表現できないけれど、僕なら「ハイブリッド」っていう言葉を使いたい。


正にクール(新しい人)!ee

で、自分達といえば…。

アムちゃん達は来年にも大浜さんの家を参考にした、電気もガスも無い竪穴式住居を着工予定だ。いよいよアム平の例のNEO乞食ファンションも伊達じゃなくなるってわけ。リアル縄文。裏矢じり系。あの格好で竪穴に住んじゃったら、みんなもう黙るしかないよな。
勝てる人なんて居ない。モードが吹っ飛びます。
だけど本人達を代弁すると、竪穴にするのは単純に技術の問題とお金の問題で、別に縄文時代に恋い焦がれているわけではなく、どちらかというと「そうせざるえない」ってことらしい。
ちなみに、大浜さんが電気を通さないのは、「使い始めたらキリがないし、その分働かなきゃいけなくなるから」と本の中でつづっている。
どちらも肩の力が抜けているのが共通していると思わない?
環境問題については、突き詰めすぎ、頭でっかちになって、身動きがとれなくなっても意味がない。実際に大胆にやってしまう人ってのはもっと柔軟で普通だ。

二人がきゃっきゃっ言いながら作業する姿が目に浮かびます。
アムちゃんのことだから、一歩家の中に入れば「えっ?ほんとにここ竪穴?」「えっ?ここ代官山の自然食のお店じゃなくて?」と思わせるぐらいの、かなり居心地の良い空間を作ってしまうに違いない。それは間違いない。早く完成させて欲しいな縄文カフェ。
でもカフェっていうよりもアムちゃんのことだから、竪穴式マンガ喫茶 になる可能性の方が高いかな。
ただあくまでも外見は、屋根にブルーシートが掛かっていたり、相当にハードコア色が強いビジュアルになる予定だそうです。クール!

とはいえ、その電気もガスもない暮らし方に彼女らがどうして積極的に進んでいくのか、本当の所では理解できていないというのが本音。たしかに素晴らしい暮らしに電気は必要ないかもしれない。だけど、電気がないから素晴らしいともまだ思えないんだよな、今のところ。ただ数年前には想像も出来なかったそんな暮らしは、今ではけして無理なことでもないと思える。やるかやらないかは別として、やってしまえば割と楽しいかも。だっていろんな物が無い時代の方が圧倒的に多かったわけだから。
いずれにせよ明確にそこを目指していることには敬服する。人それぞれのいい塩梅のバランスのところで進んでいけばいいんだと思う。
理想のスタイルは違ってもお互い協力しつつ進んでいきたい。俺も穴掘るよ!

それに合わせて僕の役目は、現代人だった二人がだんだんと弥生人、弥生人から縄文人、そして最終的には四つ足になっていくその過程をしっかりと記録し、二人が完璧に別種になった時点で隔離、隠蔽。そしてそれを後世に伝えるのが友達としての責任だとも思っている。

人類の指標になるべく四つ足になった夫婦の愛と涙の全記録、そして友との(種としての)別れ! DVD『毎日が四足歩行』発売予定。とうご期待!!予価4500円。

これはDVD御殿が建ちますぜ、旦那…。

一方、こちら二人は今は白紙の状態。
去年の間ちょこちょこ直した家の補修が一段落したところでホッとしすぎて、まだそこまで上がっていってない。それに二家族が同時に建て出すより、時間差を作ってお互いがお互いを手伝った方が都合が良い気もするし。
僕自身は「こんな家に住みたい!」とか、そんな欲求はあまり無いので、家のプランはムラの好きなようにしてもらうのが一番だと思っている。彼女は本当にそういう才能があると思う。凡才は黙って従うのが一番。(でもどうせうるさいことを言い出すんだろうね、俺のことだから)
もちろん自分達の手でやれるところまではやるつもり。
今時点ではストローベイルという麦藁を固めたブロックで造るという方法が、金銭的な点からも技術的な点からも一番の候補になっている。普通なら許可が下りないこの工法も、ここは僻地ゆえの特権、つまり「指定区域外」ってことになるらしくお店として使う以外はスルーらしいのだ。あとは場所。こんなに土地はあるのに宅地になっている所は意外と少ない。
また最近、麓郷で知り合った大工の親方の一番弟子が、日本でのストローベイルをにごく初期から関わってた人らしいと偶然に知った。

つながってまいりました… つながってまいりました…

後はムラの頭に神が降りてくるのを待つのみ。

で、なんだかんだいって、結局、俺たちも竪穴だったりして。

もしくは、いきなりすっげー普通の2X4住宅をおったてたら一番ウケる気もする。
トイプードルとか飼いだしたりして…。服とか着させて散歩させちゃったり。

タイラザワンヌ誕生です。

散歩の合間、いつも思い浮かぶのは、今も丘の上に暮らす遠くにいってしまった二人の友のこと。

自慢の我が家に戻ると、僕は二人の健康を祈りながら、玄関にある他人には脈略なく置いてあるかのように見えるであろう矢じりにそっとふれる。


 自然のものたちは石も土も植物も動物も大気もみんな連動し協同しており、したがってからだ全体で考え、からだ全体でしゃべりあっている。文明人は一人の頭だけで考え、口だけでしゃべっており、自然の彼らと他人を理解することができなくなっている。手前勝手な霊感や神など超自然的な非物質的なものを絶対化して支配をおしつけるまちがいをつづけてはならない。
 量子のゆらぎやビックバンの最初の一撃などが未解明といえどもやはり物質的なもの。万物との連動と協同の中でのからだ全体での直感と人類が分担した科学的解明を進めて自覚的協同を実現する先に希望がみえるのだが。(大浜五光著/原野の生活より)






今週読んだ105円本
「いま、生きる力」岡本敏子著

※次回更新は9月22日です。