Oi!スニーカーを履き替えろ




「なんか思ったよりも、感動ってねぇもんだな、実際問題。」

妻はマジメな性格からか、もうずっと引越しの手順でテンパり気味。
周りの景色を見ているようでも、その視覚情報は脳には届いていないであろう。
今日は僕たちの富良野移住初日。
麓郷に抜ける道に沿って流れている川の水量は、雪どけの水でかなり増していた。
この道を最後に走ったのは昨年の7月の時。
その時の周りの色は「緑」というより「ド緑」だった。
4月の今の色はというと、ところどころにまだ相当に雪が残っていて、その雪の白がカーキ色の地面や、グレイの木々の色を引き立たせ、夏の景色よりも逆に綺麗に感じた。
その景色を見て「あーやっぱ、オレ、もう全然こっちだわ」と一人移住に納得する。
北海道に移住すると決めてから、約2年。
結構、力技で押し切った部分もあったけど、なんだかんだ言っても、結局は行きたい方向に収まるもんだ。行けるもんだ。
というより、よくよく考えてみたら、これはただの「引越し」なんだよな。ほほ。全然、普通。

東京での最後の1カ月は、それはそれで充実した日々だった。
友人達との朝11時の別れ、ドタバタキャンプ、下町の居酒屋での酔狂、最高の花見、「お台場」って行った事ないから、最後ぐらい行ってみんべよ!ツアー、「東京タワー」って登ったことないから、最後ぐらい登ってみんべよ!ツアー。最後の方はお別れ会というのは完全に単なる名目になっていた。だいたい同じ面子で最終的には第17次お別れ会。そして俺、ついに昇天。
連チャンで朝まで呑んだ、ある日の昼下がり、俺は気がついたらコンビニでコピーを取っていた…白黒写真モードで。
その東京での様々な喧騒、熱気、友の暖かさ、ハッタリ、懐疑的な視線、そんなものたちの残り香が、この道を走っている今も、自分の背中に纏わりついている感じがする。なんかその切れの悪さが、やっぱりどこまでも俺っぽい。

そもそも上京したのが19歳の時。
上京の理由は予備校入学という、全然「新しい門出」的なものではかった。時期はちょうど今頃。出発のその日は、北国お得意のどこまでも続く曇天。冴えない門出には冴えない天気が良く似合う。ピーカンだったら逆に泣ける。
札幌駅のホームは柱の下だけ丸く雪が残っていた。そこで幼馴染の一人に見送られた。

しかしその後、ハプニング。そのホームに、なんの前ぶれもなく父親が「ニヤニヤ」しながら現れたのだ。そういえば、前日、何気なく列車の時刻を聞かれたのを思い出した。
僕はまだ父親ではないので、ああいう時の親の心境は今でもわからない。しかしいろいろな感情が混ざって、それが父親を「ニヤニヤ」させていたんだろう。
そのいろいろがバッチリと僕に伝わってきて、そしてそれが少々刺さったもなぁ…。

拝啓 父上様
実はあの後、オレ、汽車の中でちょっと嘘っぽく泣きました。

あれから20年、妻と猫一匹という呑気な絵面で北海道に戻ってくるとは、まさか思っていなかった。
それも札幌ではなくて富良野に。
でも、今までの様々な選択は、常に先が見えない方へ、予想がつかない方を選んできたような気がする。先が見えちゃった途端に逃げまくり。
なんかダザいけど、まぁしょうがない。だって人間だもの。

あと、予想がつかないといえば、あの当時、髭がこんなに濃くなるとは思ってもなかったな。男性ホルモン3000年の歴史が創り出す摩訶不思議といったところだろうか。

そういえば、僕の母親の口グセは
「毛の薄い男は薄情だもねぇー」というものだった。

拝啓 母上様
今ならあなたは僕の事を、愛に満ち溢れた男として認めてくれるでしょうか?

そんな事を考えながらも、車はそろそろ森を抜けるか?ぐらいの地点にさしかかっていた。その時、いきなりリスが車の前に飛び出して来たのだ! だが、スピードをあまり出していなかったおかげで、なんとか車は止まる事ができた。
記念すべき移住のスタートに、リスをミンチにしてしまってはなんとも後味が悪い。
しかし驚いたのはそのリスはそのまま逃げるどころか、そのままこちらに近づいて来て、ミラーに飛び乗って何か口を動かしている。
いや、何かしゃべっている…。

「あなた、噂の新入りさん?」

「えっ?オレ、もう既に噂になってんの?」

「まぁ軽くね…、それよりおいしいダージリンテイーが手に入ったの、私の家で飲んでかない?」

「リスのダージリン…すんげー気になるけど、今、友達が待っているから今回は止めとくわ。」

「あっ、そう!まぁいいわ…。やっぱり此処の事を何もご存知ないのね、シンイリスウァン…」

「私、SOOっていうの。ここはそんなに大きくないから、これからもチョクチョク会うと思うわ。よろしくね。」

そう言い残して、リスのSOOはガードレールの下から森に消えていった…。

「ムラ(妻のあだ名)、オレとリスとの今の会話、聞こえた?」

森の最後は左に曲がるカーブで終わる。
視界はそこからいきなり開け、道もそこからしばらくは笑うぐらいまっすぐに伸びている。
笑うぐらいのまっすぐな部分の両端が、今回移住する土地である「富良野市字平沢地区」だ。

いやーほんとに来ちゃったなー。

ここで生活する実感なんて沸くはずも無いのだが、実際に住むという目線で景色を見ると、なんか微妙に昨年来た時とは違って見える。

それにしても、青空と雪の残っている山の色の対比が素晴らしく綺麗だ。

新しい暮らしを始める離農した方の家の前に到着。
そこは去年の夏にその家の大家さんの方に無理を言って、入居させてもらえる事になった家だ。
その時、その家は資材置き場のように使われていたのだが、事前に中の荷物を出してくれていた。本当にご迷惑おかけします。

しかし、その家はしばらく人が住んで居なかったせいか、少々デッサンが狂ってきていた。スキマチックな数々の窓。風呂場は雪で破壊され、便所も床が傾き、そのままでは使えない(その後、普通に使い始める。だって人間だもの)

今までの人生で僕がうすーく感じていた想い。それは
「俺の人生、なんか、このままツルッと終わって良いの?」というものだった。

そして、事前の予定では、この家を前にして、
「俺の人生、いよいよ盛り上がってまいりましたっ!!」(実況風に)となるはずであったのだが、
実際はといえば「一体ここに、オラ達、これからどーやって住むべ?」という、現実的かつ不安色豊かな感情が浮かびあがる。これは全くの予想外であった。
またタイミング悪く、この日はこの時期にしてはかなり冷え込む日であった。

ムラと二人とりあえず、途方に暮れる。
途方に暮れていても体は冷えてくるだけ…。

「とりあえず、車の荷物だけでも降ろそうか?」

荷物を降ろす足元がぬかるむ。僕は長靴を持っていたが、ムラは持っていなかった。ムラの足元を見ると、彼女が東京から履いてきたピカピカのスニーカーは、もう既に下半分が茶色に浸かっていた。
それを見た途端、彼女の事が急にいとおしくなる。
とりあえず、僕達に今一番必要なものは長靴なのだ。

何故、僕達が移住という道を選んだのか?
それは後々ここで書くこともあるかもしれないが、それもとりあえず今はどうでも良いことだ。
とにかくその理由がなんであれ、今はやらなきゃいけない事を少しづつやらねば。


ムラ、本当に付いてきてくれてありがとう。今は平凡な感謝の言葉しか出てこない。
ま、普通なら離婚されてもしょうがない話だもなぁ。
でも俺には、ムラは絶対こういう生活の方がしっくりくる人だって確信がある。

あとポニーっいうの?アレ飼いたいなら飼っていいよ…だって約束だもの。